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  ○月×日 いちばん本気なのは誰なのか?
   1年前に「国会はライ麦畑ほど無邪気なところではないだろう」と書いたわけだが、残念ながら(というべきなんだろうな)やはりそうだったようで、キャッチャーは職を辞した。が、彼の判断が”崖を転げ落ちる前にキャッチするのは自分の仕事だけど、落ちちゃったら僕は関係ないから”ということであるならば、ここは無邪気さ=innocentがどうこうという話ではなくなる。実際のところ、政治の現場が無邪気であるはずはないのかもしれないが、目の前で起こる出来事をただ追いかける分には、それは非常に無邪気に見えたりもするから、なかなか厄介である。
 ところで、今日のニュース番組を見ていたら、民主党の鳩山さんが、「自民党は総裁選のスケジュールを民主党の党首決定スケジュールを意識してわざと1日ズラしたように思えるが、もっと正々堂々とやっていただきたい」旨を話していた。でも、その自民/民主レースの直前に始まるワールドカップ最終予選では、最後の試合の日程がズレると不公平が生じるから、管理する協会の責任において意図的に同時開催のスケジュールが組まれるのが当たり前のこととされている。つまり、本気で戦おうと思えば、少しでも有利なように恣意的にスケジュールを調整するなんていうのは当たり前のことで、それを正々堂々としていないと難じる鳩山さんは、やはり本気度が低いと考えるべきなんじゃないだろうか。
 で、岡田ジャパンがどれだけ本気かと言えば、これもまたなかなかむずかしいところである。もちろん、岡田さんをはじめとしてスタッフも選手もみんな”本気”だろうが、彼らが自分たちの”本気”というものをどういう状態なのかちゃんと自覚しているかどうか、ちょっと心もとない気がするのは僕だけではないだろう。それは、星野ジャパンが本気だったか?反町ジャパンが本気だったか?という話にも通じるわけだが、ある意味では当事者が”自分は本気だ”と思っているレベルはまだ全然本気じゃないわけで、自分の意識の未踏地に踏み込んでしまうinnocenceこそが今こそ求められているのだろうと思う。
 個人的に気になっているのは柳沢で、今回は召集されていないが、長い最終予選のなかで最も出現が切望されているフォワードのヒーローになり得るのはじつは彼なのではないか? それは、先のワールドカップのクロアチア戦で決められなかったゴールのリベンジを果たす、というような安直なドラマではなく、本当の意味で彼のストライカーとしてのinnocenceがいよいよ問われる状況が整ってきているように思うからだ。
 今シーズン、京都に移籍して再びゴールを量産し始めた彼を見ていて、僕は、京都的現実主義を生きる育ちのいいお嬢さんと付き合い始めたんじゃないかと勝手に推測している。孫の代まで食いっぱぐれる心配がないような家に育っていながら、男の品定めする際に「結局、その人はどれくらい稼ぎはんの?」と聞くようなタイプの京女を何人か知っているけれど、こういう人と付き合っていると、「美しく勝利せよ」というヨハン・クライフの言葉の本当の意味を理解するはずだ。”いいサッカーをした=美しいが、勝てなかった”というのは、クライフの求めるもののうち半分を達成したが半分が足りなかったというのではなく、「美しく勝利する」というひとつの命題を実践できなかった、ということなのだ。自分なりの美学をまっとうするフォワードとして、柳沢はつとに知られてきたわけだが、その美学では京都のお嬢さんはオトせない、という事実に直面したときに、彼が覚醒したとしてもなんら不思議ではない。「女は芸の肥やし」というけれど、才能だけで生きてきた柳沢がようやく”芸”と呼べるものを発揮する場が今回の最終予選ではないか? でも、個人的には、前田の1トップがいいかなと思ってるんですけど(笑)。
 
クョスコニョ    [1] 
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