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  ○月×日 やっぱり思うのは「がんばれ!大久保」か
   終わってみれば、グループ1位のパラグアイと4位の日本の勝ち点の差は2、2位イタリアと3位ガーナを分けたのは総得点、ということで、日本はパラグアイかイタリアのどちらかと引き分けていれば予選グループを通過できたはずだった。でも、パラグアイ戦、イタリア戦はどちらも見ている分にははっきり力の差があるように感じた。その意味では、パラグアイとイタリアの予選突破は順当、という気がする。それに「アテネ経由ドイツ行き」列車の乗り組み員にとっては、今回は力の差があった、と捉えることこそ意味があるように思う。具体的に云えば、ワールドカップではジラルディーノをディフェンスは抑えなければいけないわけだし、フォワードは彼を凌ぐようなプレイをしなければいけないわけだから。それに、ガーナ戦の前に日本で行われた対アルゼンチン戦のA代表のプレイを見ていると、ぜひとも追い抜いてポジションを奪ってほしいとも思う。頑張れ!大久保。
 ところで、サッカー以外はそんなに熱心ではないものの、やはり見てしまうオリンピックのここまでの結果を振り返るに、ここ数年漠然と感じていたことが形になって現れているように思う。というのは、日本人は抽象的なもの、超越的なものにアイデンティファイする能力、それはある種の想像力と創造力を必要とするわけだが、そういう能力が減退しているように感じるのである。仮にそうだとして、そのことはある局面ではプラスに作用することもあるとは思うけれど、たとえばチーム・スポーツにおける主体性の持ち方という問題ではあまりよろしくない影響をおよぼすのではないか? 今回のオリンピックが終わる頃にはもう少し明解な説明ができればいいと思うのだけれど。
クョスコニョ    [1] 
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