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  ○月×日 再び「広告批評」最新号から
   高橋源一郎が、吉田修一を評して山本周五郎みたいだ、と語っている。
いわく「山本周五郎の作品の中には無限にいいヤツが出てくるんですよ。でも"ヘッ"って言えない。なんかね、もう、参りました、という感じがする。(笑)彼の作品って普通に人情小説と言われるけど、でも、ちょっと違いますよね。つまり古い意味で"いやあ、人情があるなあ"と言うのではなくて、言ってみればドストエフスキーみたいなものだと思うんです。出てくるのは人間の無意識の行動であったりするから。それで、吉田さんの小説読んで、"あ、これ、ちょっと山本周五郎だよね"って思ったんです」
 で、この話とは全然関係ないのだけれど、この時代、僕は石坂洋次郎みたいなものに出会いたいという気分が強い。ここで言う「石坂洋次郎みたいなもの」とは、本質的な悪意の不在、くらいの意味である。去年の夏に松たか子がリリースした「ほんとの気持ち」という曲はじつに石坂洋次郎的で、僕の去年の夏のヘビーローテーションになった。で、この曲のどこがいいんだろう?と考えてみると、もちろん小田和正の手になる曲自体の魅力も大きいけれど、やっぱり松たか子なのだ。この人の育ちの良さなのだ、という結論に達した。育ちの良さと言っても、家が裕福だからいい、と言っているわけではなく、ちゃんとした家族の愛に恵まれて、彼女も家族を愛している、みたいなことだ。
 近田春夫とユーミンの対談で、近田春夫が「いろいろな逆風の中で淘汰されずに生き残った理由は何か」と聞いたところ、ユーミンは「育ちがよかったからかな(笑)。それは、金持ちだ何だっていうのじゃなく、愛情を十分にかけられてきたということで、基本的に、周りの人のことはすごい信用しちゃうのよ」と答えている。
 つまり、育ちの良い人は信じる能力が高い。ひと度、信じたら、真直ぐに信じる。
 ここで、話は高橋の山本周五郎論に戻るわけだが、高橋がいうところの山本周五郎の小説に出てくる「いいヤツ」はみんな"信じる"ということを当然のこととして生きているのだろう。その生き方は、この時代から眺めてみれば相当に信じる能力が高い生き方だ。
 信じると言えば、今回のオリンピックで華々しい成果を挙げた人たちはみんな信じる能力が高かったはずだ。ただ、それはたとえば"己を信じる"みたいなことではなくて、もっととんでもないものを信じていたのではないか。信じていたもののとんでもなさが、その突出した成績につながったのではないか、なんてことも考えた。
 というわけで、山本周五郎の小説を読んでみようと思っている今日この頃である。
クョスコニョ    [1] 
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