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  ○月×日 「空っぽ」にだってちゃんと理由はあるのだ。
  ”六本木で取材なんて久しぶりだなあ”なんて思いながら出かけてみると、取材場所の喫茶店で、ひとつ向こうの席に上品な老婦人と向かい合わせに座ったのが女優の池上季実子だったりして、”やっぱり六本木は違う”とおのぼりさん気分になったりもして、取材後”せっかくだから、六本木ならでは、みたいなところで飲んで帰るか”と考えた果てに思い至ったのが森美術館で開催中のアンディ・ウォーホル展だった。
 多分1988年だと思うのだけれど、ニューヨークに旅行した際、MoMAで見たウォーホル(当時は確かウォホールと言われていたように記憶しているのだけれど)の作品の、見事な空っぽさ加減にいたく感動し、だから今回の展覧会はずっと気になっていたのだけれど、なにせ基本的に六本木方面に出かける用事がないから、ズルズルと今日に至ってしまったわけだ。が、やはり行ってみて正解でした。
 絵画およびアートの表現については、まったくの門外漢なのだけれど、それでも50年代作品の色使いがすごくヴィヴィッドな感じだったのはとても印象的だし、彼が様々な形で行った手法的実験において転写であるとか複製といった方法が繰り返し用いられていたことも面白かった。加えて、19世紀後半にスラブ移民が多くアメリカにやって来たことはアメリカのポップス史において重要な出来事なのだけれど、ウォーホルの両親もまたそうしたスラブ系移民であることを知った。
 30年近く前にニューヨークで感じた、と記憶していた見事な空っぽさは多分、幻ではなかったと思う。というか、おそらくはすごく論理的に説明されるべき表現上の帰結なんだろうと思う。そのことを確認できただけでも、十分ビールがジョッキで3杯はおいしく飲み干せる。もちろん、飲み始めれば3杯で終わらないのだけれど。
クョスコニョ    [1] 
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