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  ○月×日 チトー亡き後の混乱から生まれたものか?
  西部謙司「3バック戦術アナライズ」によると、ボラ・ミルティノビッチがかつて「サッカーに攻撃的も守備的もあるものか」と言ったそうだ。彼は正しい、と西部も書いているが、実際のところボラのサッカーの評判はそれほど高くない、と言っていいと思う。監督としての実績という点ではまったく申し分ないと思うのだけれど、それでも彼の、敢えて言えばリアリスティックなサッカーは人気がないのだ。コスタリカやナイジェリアをワールドカップで決勝リーグに導いているけれど、そのどちらのチームも後年話題になることはほとんどないし、メキシコのベスト8にしても「地元開催だったからね」などと言われてしまう。それでも、コンスタントに代表チーム監督のオファーが続いたのだから、本人は気にしていないのかもしれないが、もしかしたら「サッカーに攻撃的も守備的もあるものか」という発言は世界中のサッカー・シーンに根づいてしまったロマン指向に対する彼のいら立ちの表明だったのかもしれない。そんな彼も、中国の代表を率いて以降の成績はあまり芳しくない。中国4千年の歴史と伝統がボラ・マジックの魔力を吸い取ってしまったのではないかと勝手に想像しているのだが、果たして中国4千年の歴史と伝統はサッカーの代表監督に清廉性を求めるのだろうか?
日本において、サッカーの代表監督に求められる清廉度は政治家よりは高いけれど女子アナほどではない、といったところだろう。もっとも、個人的には今回の1件があるまでそんなことを意識したことはなかったが、意識するまでもないほどこれまでは清廉度が高かった、ということなのかもしれない。だからこそ、腹黒いに違いない(と、僕が勝手に思っている)川淵三郎元チェアマンはアギーレの解任を求めたのだろうか? その真意はわからないが、川淵が大仁チェアマンに解任するよう求めたという報道を目にした数日後に本当に解任されてしまったのだから、川淵はただ腹黒い(と、僕が勝手に思っている)だけではないのだろう。そして、その報道では「後任にはスコラーリを示唆した」ということだったが、果たしてこれまたその通りになるのだろうか?
 どうしても本田と香川の併用、および岡崎の1トップで4-3-3を続けるなら、本田と香川の2シャドウにして、アンカーの前に例えば細貝と今野を置く(レベルの違いはあるけれど)かつてのミランのようなフォーメーションにするしかないんじゃないの?と拙考を巡らせていたのだが、それも白紙に戻ることになった。いずれにしても、「3バック戦術アナライズ」で正しく指摘されている通り、「イノベーションとは、つまるところ直面する現実に対するソリューションから生まれる」のだから、持ち札で現実を乗り越えていくことを考えることからしか始まらない。それってなんだか人生のアナロジーみたいだけれど、そう考えていくとミルティノビッチの言葉も「人生に、攻撃的も守備的もあるものか」と解すべきなのか?という気がしてくる。ホントに、ユーゴスラビア人の言葉の奥行きは計り知れないね。
クョスコニョ    [1] 
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