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○月×日 暑いときに、「暑い、暑い」と言うなかれ |
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実家から東京に戻ってきて、中央線に乗ったら車内広告のなかに「どんな絶望にも必ず隙がある」というコピーを掲げた缶コーヒーの広告があった。僕の感覚では、そのコピーは缶コーヒーのコピーとしては、というか中央線に車内広告を出すような商品のコピーとしては、ちょっとハードに過ぎると思ったのだけれど、どうなんだろう? あるいは、僕の知らない間に世の中がひどくハードな状況になっていて、人々は絶望の隙間とかカタストロフのなかの救済とか、そういったことについて日常的に情報を交換しているのかもしれないが、幸か不幸か、僕はそういう話の輪に入れてもらったことがない。できれば、入れてもらわないまま時間が過ぎればいいが、そういうわけにいかないのであれば、早めにその缶コーヒーを飲んで、絶望の隙をうかがったほうがいいのだろうか? 心配なのは、その「必ずある」と言われる絶望の隙をちゃんと見つけられるか?という問題だが、いずれにしても僕の知らない間に世の中がどんどん複雑になっていることだけは間違いないと思う。
この間も、コンビニで”この夏の新商品”ということで、「すいかソーダ」なるものを購入して飲んでみた。22年ぶりの復刻商品ということだから、いわば”昭和の味”ということになるわけだが、これがなかなか微妙な味だった。決してまずいわけではない。個人的な好みで言えば、好きな部類に入ると思う。「すいかソーダ」と知らなければ、また買おうと思ったかもしれない。が、問題はその味がメロンソーダのような味だったということである。好意的に考えれば(?)、すいかとメロンは同じ瓜科だからまあいいじゃないか、みたいなことかもしれないが、「すいかソーダ」だと思って飲んだら「メロンソーダ」だったという割り切れなさはやはり厳然として残る。この割り切れなさにも隙はあるのかどうか、くだんのコピーを考えた人に聞いてみたい気もするが、それはともかく、缶コーヒーや清涼飲料水を飲むたびにそんな微妙なことを考えさせられていたら、猛暑日でなくても頭が火を噴いてしまうだろう。
さて、この夏の暑さには隙はあるんだろうか?
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