総計: 4314233  今日: 1393  昨日: 19905       Home Search SiteMap
K's Glasses
profile
自己紹介
Diary 
Live Report
Recommend CD
 インターネットラジオ
音楽現実
 環境goo
地球にリスペクト!
 iPad/iPhoneマガジン
gentle music web

 

  ○月×日 少年老いやすく学成り難し、か?
   ワールドカップが終わり、参議院選挙も終わり、梅雨が明けた。
「学べば学ぶほど…」と釈明してみんなを驚かせ、呆れさせたのは前の総理大臣だ(もうすぐ”前の、前の”になるかもしれない)が、サッカーの日本代表監督(こちらは、もうすぐ”前の”になるはず)も似たようなことを語ってファンを驚かせ、落胆させた。そんなことがずいぶんと昔のことに思える。民主党は代表が代わり、サッカー日本代表は監督が代わらず、代わった民主党の代表は主張を変えて勝負に出、代わらなかった代表監督は勝負に徹して戦法を変え、民主党は大敗を喫し、サッカー日本代表は新しい歴史を刻んだ。呆れたり、落胆したりしてから、もうこれだけのことが起こったのだから、ずいぶんと時間が流れたように感じても仕方ないだろう。それでも、前の総理大臣が引き起こした問題はいまも続いているから忘れるはずもないけれど、代表監督がわれわれを落胆させた見込み違いは世間的には結果オーライで忘れ去られそうだから、”オイオイ、ちょっと待て”という気分になる。もっとも、僕にしたところで、ワールドカップ開催以前、「ベスト4なんていうバカな目標を掲げるのは止めろ!」という非難がすごかったことは憶えているが、どういうところに問題があるのかという具体的な指摘があったかどうかはあまり憶えていない。あるいは、そういう指摘はほとんどなかったのかもしれない。僕がかろうじて憶えているのは、例えば西部謙司氏の「目標と戦い方が矛盾している」というもので、ベスト4になるには6試合戦わないといけないが、相手よりもたくさん走りきって勝つという岡田監督の発想では6試合も保たないというものである。ただ、それも6試合を相手よりたくさん走るということがどれくらい大変なことなのか僕には想像できないのでなんとも言えないし、善戦するも終盤にはガス欠を起こして負けたオランダとの親善試合の後のコメントで中村憲剛や遠藤は「もう1回やったら、もうちょっとやれそうな気がする」とコメントしていたから、選手たちにはずっとたくさん走ることができるという目算があったのかもしれない。それでも、実際に4試合目のパラグアイ戦では、日本の選手は最初から明らかに疲れていたように見受けられた。だから、結果として「目標と戦法に矛盾があった」と考えるか、あるいはその戦法で目標に達するための選手選考に間違いがあったかのどちらかではないかと思える。
 矛盾と言えば、前線からプレスをかけていくことと最後方のセンターバック2人が”最後の砦”よろしくペナルティエリア手前に陣取る形とは矛盾しているというか、そうすると当然中盤が空いてしまうことになるように思うけれど、その疑問点については本番直前の”歴史的決断”まで対処されることはなかった。例の「学べば学ぶほど‥」やっぱり無理だなと思うようになったというわけである。
「もうちょっと早く気づけよ!」という非難があったと思うが、それは例えば前回のアジアカップでオシムジャパンが韓国に勝って3位になっていれば、貴重な国際マッチデーにイエメンなんかとアジアカップ予選を戦わずに済んだから、その日に世界の強豪とマッチメイクができていれば、その時点で気づいたかもしれない。あくまでも可能性の問題として、ということだけれど。
 オシム・ジャパンと言えば、あのチームではセンターバックは中澤と阿部の組み合わせが基本だったから、結果としていつでもどこでもみんなで協力して守るという形にならざるを得なかったように思うし、それが”日本代表の日本化”の形だったのかもしれない。つまり、中小企業では”社員全員が営業もやれば開発も手がけ経理伝票も書く”みたいな体制で臨んでいるのと同様に、ワールドカップにおける日本ごときレベルのチームは攻めるときも守るときも、まさに束になってかからないと話にならないということなんだろうと思う。
 岡田監督は大会前に「400M走なら勝てないかもしれないが、400Mリレーなら勝てるかもしれない」という言い方をしていた。つまりは試合を違う種目にしてしまうということだから、”束になってかかる”よりもさらに極端な発想で、それ自体の是非がともかく、”歴史的決断”があろうとなかろうと、日本が勝つ場合にはああいう試合展開になるのは必然だったということになるだろう。
 岡田監督は、「何かを積み上げていくときに上にばかり積んでいるとすぐ崩れてしまうから、横に積むことも大切」と本番前のインタビューで語っていたけれど、帰還した選手たちのコメントを見ると「勝つには勝ったけれど…」という思いが残されたみたいだから、そういう意味では今回は積み木を横に積んだ大会だったということかもしれない。
 さて、今の総理大臣は積み木を横に積む気などはさらさらないはずで、単純に大きな見込み違いをしでかしたということなんだろうと思われる。大相撲の野球賭博問題にしても”こんなはずじゃ…”と思っている関係者が少なくないように思えるが、要は常識とか経験値なんてものがアッという間に古びてしまうような世の中になっているということか。「…ということか」と書いている時点で、そういうトレンドに遅れをとっているということだけれど。もちろん、梅雨が明けたくらいでそういうトレンドが変わるはずもなく、「一寸先は闇」的世界は続く。それならば、「学べば学ぶほど…」なんてくらい呑気なのがちょうどいいように思ったりもする。まあ、世の中に学ぶべきことは多過ぎて困っちゃうのだけれど。
クョスコニョ    [1] 
 前のテキスト: ○月×日 暑いときに、「暑い、暑い」と言うなかれ
 次のテキスト: ○月×日 フジファブリック取材
copyright(c)2008 TATSUYA KANEDA All rights reserved