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  ○月×日 詩人になりたいなんて一度も思ったことはないけれど
   久しぶりに本屋に行ったら、新刊でなんと立原道造の詩集が出ていた。”この人の名前を思い出すなんていつ以来だろう?”と考えてみると、何かのライブの打ち上げで作詞家の森雪之丞氏と話すうちに立原道造の話になり、打ち上げがお開きになった後も広尾のバーに場所を移して朝まで盛り上がったことがあったことを思い出した。でも、それもおそらくは10年以上前のことだろう。それにしても、立原道造とは…。数ヶ月前にも同じ本屋で堀口大学の評伝が出ているのをみつけたのだけれど、なんだか妙な気分である。
 家に帰って、中学のときに買った立原道造詩集を取り出してみた。ケースがかなり変色している。例えばこんな詩がある。



裸の小鳥と月あかり
郵便切手とうろこ雲
引出しの中にかたつむり
影の上にはふうりんそう

太陽と彼の帆前船
黒ん坊と彼の洋燈
昔の絵の中に薔薇の花

僕はひとりで
夜がひろがる


面白かったのはそのケースの中に当時の新聞の切り抜きが入っていたことで、
「四季派の功罪」と題した詩集の時評のような記事である。立原道造もいわゆる四季派のひとりであるわけで、当時の評価のひとつの典型として切り抜いたのかもしれないが、まあ、中学生の自分が何を考えていたかなんて今となってはまったくわからない。それはともかく、その記事のなかで四季派の功績を記した後で、逆に彼らが残した罪過のひとつとして次のように書いている。

彼らの作品を下限で見れば一目瞭然としているが、詩人とか詩というものを、なにかやたらにめめしい甘ったれたものにしたし、こぢんまりと工芸品みたいに作品のかたちをおさまらせもしたのである。

 立原道造は東大の建築を出たやさ男で、肺炎だか結核だかを患って24歳で死んでしまった。写真を見ても、まあ、ひ弱な感じである。「だから、男たる者、こんな詩を愛好するなどけしからん、みたいな雰囲気があったよね」というような話を確か雪之丞さんとも話した気がする。
 でも、もちろん今となっては、そんなことを気にする人はいないんだろうな。そういう意味では、いい世の中になったような気もするが、と言って、例えばいまどきな”草食系”あたりの文脈で語られたりするのも不本意なのだけれど。
 それにしても、あの詩集は売れてるのかな? 作り手の愛情が感じられる、とてもいい本だったけれど。
クョスコニョ    [1] 
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