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  ○月×日 カンバラクニエ取材
   orange rangeのジャケットやFM802のビジュアル・ワークなどで知られるカンバラさんは京都在住。というわけで、朝イチの新幹線で京都へ。考えてみると、京都に行くのは10数年ぶりである。で、今日は11月の10日過ぎとは思えない温かさだったことも手伝って、なんとも気持ちいい京都との再会となった。いい街だなあ、と思ったのである。学生時代、この街が好きで、金を貯めては深夜バスで出かけたものだが、そんな当時でさえ京都はもう少しくすんだ印象だった。でも、この日の京都はとても澄んでいて、気持ちよかった。京都の冬は本当に寒いから、春になるのを待って、また来るかな。
 それはともかく、カンバラさんである。今日が初対面だったが、その作品と生まれも育ちも京都というプロフィールから想像していた通りの、じつに京都的な人だった。ちなみに、インタビューのテーマはエコ。エコという言葉はいまやあまり使いたくないが、環境のことはつねに気になっていると彼女は言う。

「知らないままに、何かが壊れていくことっていちばん嫌じゃないですか。そうじゃないようにするには、生活をていねいにすることとか、そういうのが最も近道な気がしてて。エコじゃないかもしれないですけど(笑)。で、そういうふうに考えると、やっぱりていねいに暮らす仕方ってわからないから、いろんなことを知っとかないとなって思うんです。生活を美しくしたい、と思ったら、やっぱりね。もちろん、そんなに徹底した美しさを求めるわけじゃないんですけど。何も知らないで時代に流されていって、自分の生活自体が見えなくなったら嫌なので。自分の生活は自分で選びたいという思いがあるので、やはりいろいろなことを知りたいですよね」
 そして、彼女とのやりとりのなかで印象に残ったのが”始末”という言葉だ。
「京都って生活をていねいにっていう感覚がある街やと思うんです。“始末”という考え方が基本にある街というか。でも、それは親から普通に伝わってることで、そんなことを意識したことはなかったんですけど、たとえば東京とか違う街に出かけたり、違う街で暮らしてる人に接すると、“何かが違うねんな”って思うんですよね。その感覚というのは、悪い言い方したら“ケチ”というふうにも受け取られるかもしれないですけど、でもすごく当たり前にあった感覚なんです。そういう感覚が今の感覚と混在してて、そういうところが私にはすごく居心地のいいところなんですよね。もちろん、変なことが目につくところもあって、京都という街は全然完璧ではないと思いますが、普通にていねいに暮らすということがあるというか、敢えてどんどん進んでいかない街なので、すごく自然にその感覚はあったんじゃないですかね。普通は、『後始末をする』とか『アイツを始末しろ!』とか(笑)、悪い意味で使われることが多いかもしれないですけど、関西で「始末せなあかんね」と言うと、それはケチをしろっていうことじゃなくて、その事柄をどう最後までていねいに面倒を看るかっていうことなんやと思うんです。野菜ひとつ料理するにしても、毎日使う物に関しても「始末せなあかんね」というときにはすごく前向きな意識やし、どこかすごく気を張ってるところがあると思うんですよね。どうしたら面白いやろか、みたいに一生懸命考えてたりして。こうしてあげたら、また使えるやんかって。陶器でも欠けたときに金継ぎしてやると、またよみがえって、それがむしろ味になったりもして。それって誰もエコやとは言わないし、別にアートでもないし。ただ大事にするということを、そういうふうにしれっとやれるのがいちばんいいなと思いますね。そのためには始末していかなあかんし、どう始末を楽しんでいくかということなのかなと思います。関西には、そういう文化があるのかなと思いますけどね。『関西人はケチや!』と言われてしまえば、それまでやし、ほんまにケチな人も多いかもしれないですけど(笑)、そういうことを楽しめる人も多いと思うんですよね」


クョスコニョ    [1] 
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