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  ○月×日 浜崎貴司取材
   エコ企画のためのインタビュー。と言いながら、個人的には年をとるということについて、厄年を過ぎた浜ちゃんに聞いてみたいなと思った次第。で、1年半ぶりに会った浜ちゃんは、自分という存在んい対する深い洞察を重ねていて、しかもそれを説明する言葉は相変わらずシンプルだった。
「最終的には、人に求められて、そこで自分が生きているという実感みたいなものを感じたいんだろうなと思うんです。だから、そこにはエゴというものが当然あって、そのエゴとコミュニケーションが共存するっていうのが理想なのかなあって気がするんです。同じように、エコの問題も自分のエゴと環境の接点がみつかればガンガンやれるんだろうと思う。チャリティみたいなことにしても、僕は2006年に「YELL FROM NIPPON」っていう、アフリカの子供達にサッカーボールを届けるプロジェクトをやったんですけど、そのときも自分が音楽を作っていくというエゴとそれがチャリティに結びつくっていうその関係、つまり歓びのかけ算みたいなものが理想だったんですよね。そこには、自分を犠牲にするっていう感覚はなくて、自分が楽しむことでみんなが楽しめるようなことが理想だし、自分が幸せだなと思えたんです。でも、それは社会貢献というような話じゃなくて、“人・貢献”っていうか。結局、歌を歌うだけなんだけど(笑)、自分がいちばん得意としているところで人に喜んでもらえれば生きていけるんじゃないかなあっていうことですよね」
 で、いま彼はバンド活動を再開していて、そこで人とつながることの面白みを再認識しているようだ。
「今、FLYING KIDSでまたレコーディングをやってるんですが、ソロからバンドにもう一回戻ることの面白みはある種の不自由さなんですよね。社会の中での共同作業みたいなことだから。ソロだったら自分がこれだと思うことが絶対っていう感じだけど、バンドだとそうはいかないんです。この間も、新曲の作ってて“どうもそこはおかしいと思うから、こうしてくれ”って言うと、メンバーのひとりが“そこは絶対譲れない”っていう話になったんです。そこで昔だったら“いや、絶対こっちにしてくれ!”って喧々諤々になるんですけど、僕も“ちょっと飲み物、買ってくるわ”って外に出て頭を冷やしたんですよね。“バンドやってるんだよな、オレ”って。バンドというのは、そういうふうにいろんな意見を内包してるものなんですよ。で、未解決なことが存在しないと面白くないんです。解決してないことがグルーヴになるんです。特に、今は機械でいろんなことが整然とできてしまい過ぎるんだけど、それに対して人間が肉体を使って一生懸命演奏することっていうのはどこかに未解決な部分があるんですよね。その未解決ってことをもう一回受け入れようとしてるんです。もう一回バンドをやるっていうのは。だから、そのときもスタジオに戻って、“わかった、それでいこう。ただ、それでいくとすると、別のところを再構築してほしい”と言うわけです。そうすると、今度は他のメンバーが“だったら、こうしたら、いいんじゃない”みたいになっていって、当初僕が思ってたのとは違う感じに曲ができあがっていくんだけど、それがいいものになったんですよね。そういう共同作業の複雑さを受け入れるということのなかでは、ある種の我慢が必要になるし、かと言って目標を見失ってはいけないし、そのあたりの舵とりみたいなことが社会というか、人の集まってる規模が大きくなればなるほどむずかしくはなるんだろうけど、そういうなかで僕たち人類は生きていかなきゃいけないんだろうなという気がするんですよね。複雑なものを受け入れながら、同時に自分の主張もし、でも全体としてはひとつになろうとしなきゃいけない、っていうか。ひとつという言い方はちょっと違うかもしれないですけど、バンドくらいの単位で言えばひとつになるっていうような、つまり人の集まりの一員なんだっていうことですよね。だから、世の中の人がみんな“バンドマン”になればいいんですよ(笑)」
クョスコニョ    [1] 
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