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  ○月×日 鈴木祥子取材
   9月のデビュー20周年記念ライブに向けてのインタビュー。ただ今レコーディング進行中のニュー・アルバムから6曲だけ聴かせてもらっての取材だったが、まずはリリースされたばかりのボックスセットに絡んで、この20年を振り返ってもらった。で、やっぱり引退を考えた時期もありました、と彼女は言うのだった。
「漠然と、長くやっていければなとは思ってたんですけど、でも途中で、結婚・引退もありかな、とか思ったし。93年にキョンキョンに書いた<優しい雨>という曲がヒットして、自分でも『RadioGenic』をいうアルバムを作ったときに、もう結婚してたし、もう主婦でいいかなって思ったんです。音楽をプロとしてやっていくことを大変だし、自分がやりたいことと人から求められていることの間にはいつも齟齬があったから、そういう葛藤をこれ以上を持ちこたえられないと思って。そういうふうに思ったのに、なぜか続けちゃったというか(笑)、やっぱり抗いようがないことだったんじゃないかな、と思いますね。作ることが自然だった、のかな。わからないです。やめるチャンスはいくらでもあったと思うんですけどね。事務所をやめたときとか、レコード会社と契約が切れたときとか」
 続けてしまったのは「抗いようのない」宿命のようなもの、という認識はおそらく間違っていないのだろうが、”でも、それだけかな?”とも思うわけで、だから自分の考えをぶつけてみた。
「おっしゃるように、じつは“我”だったのかもしれないですね。認められたいとかもっと作りたいとか、ソロ・アーティストとして成功したいとか…。表現活動をやっている方は誰でもそうだと思うんですけど、やっぱりわたしも“我”が強いんです。で、“我”を通すことは良くないことだとわかっていても、そのことと自分はいつも葛藤していて、だから普通の生活をしていたら周りから浮いてしまったり、変に思われたりすると思うんですけど、だけど音楽の世界では自分の“我”を音楽の形に変えて表現するということが許されますよね。そういう意味で、音楽をやらざるを得ないし、やりたいし、やることが許されているということは幸せなことなんですよね」
 彼女は端的に”我”と言ってみせたが、そういう止むに止めない感情があるからこそ、そこから生まれる音楽に力があるわけで、彼女が作ってきた音楽が持っている力の源泉もそういう感情だろう。そして、その彼女が言うところの”我”は、やはり音楽に帯する愛と言い換え得るものだと思う。
 9月のライブのサポート・メンバーは、大田譲(b)に矢部浩志(ds)というカーネーションのリズム・セクションに小倉博和(g)、山本隆二(key)が加わる豪華なラインナップ。これだけでもう、いいライブになること間違いなし、という感じだ。
クョスコニョ    [1] 
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