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  ○月×日 中村航『リレキショ』読了
 

 

  本屋で初めて見かけたときからなんとなく気になっていたこの本を特に意識するようになったのは、GOING UNDER GROUND というバンドのライブを見に行った際にそこの物販コーナーで売られていたのを見つけたからだ。GOING の事務所の社長に「どうしてあの本を売っているんですか?」と尋ねたら、「ウチのジャケットのイラストを描いてる人があの本のイラストも描いてるんですよ」との答え。なるほど。彼らのジャケットのイラストをよく承知していながら、本屋で見かけたときにすぐ気づかない僕が間抜けだった。それはともかく、最初に意識したいきさつがそんなことだったから、この小説はどうしても GOING の音楽との比較のなかで読み進めてしまう。

 よく“音楽が聞こえてくる小説”なんて表現があるけれど、これはそういう感じじゃない。むしろ、聞こえてくる音に耳を澄ましているような小説というべきだろう。つまり、とてもナイーブで敏感な感じ。でも、神経質じゃない。イメージとしての“男の子”の、それも都会ではなくちょっと田舎びた場所で育った“男の子”の物語だ。その感覚は、確かに GOING の音楽と通じている。夜空を背景に、その夜の時間を確かに生きている若者の意識を描きだしてみせるのも、GOING 的と言えるだろう。

 ただ、GOING の物語を快調に展開させるビート感はここにはない。それは、好みの分かれるところだろうが、僕にはやはりそれがもの足りなかった。主人公が一緒に暮らすお姉さんとその親友の女性が、それぞれの人生観のようなものを語って聞かせるシーンを“説明のための説明”のように感じてしまったのも、たとえばビート感という言葉で表される展開力に対する不満であったのかもしれない。

 それでも、僕はこの作者の次作『夏休み』を近々読むつもりだ。GOING の音楽の主人公がそうであるように、ここで描かれた主人公がちゃんと年をとっていくととても魅力的になるように感じられるからだ。

(この本のご購入は↓)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_top.cgi?aid=p-yuibo81886

クョスコニョ    [1] 
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