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  ○月×日 イチローはやっぱりアーティスト
   イチローの記録に関して「NUMBER」のインタビューを読み、「NHKスペシャル」の特集を観る。「NUMBER」では、「感覚の中ではヒットにできるポイントが劇的に増えているのに、それをどうしても表現できない」と語っている。僕は以前から彼のバッティングに対する取り組みに優れたアーティストの音楽に対する取り組みに通じるものを感じていたのだけれど、たとえばイメージの表現としてバッティングについて語っているこの表現などはそのわかりやすい例だろう。頭の中で鳴っている音を実際にステージやレコーディング・スタジオで鳴らせなくて試行錯誤を重ねたアーティストの話として読んでもまったく違和感がないはずだ。「NHKスペシャル」では、「絶好調とはどうしてだか理由がないのにヒットが出る状態」と語っていた。だから、絶好調の状態にあるときには、彼は大いに悩むことになる。どうしてヒットが打てるのか? "ヒットが出てるんだから、それでいいじゃん"というわけにはいかないようだ。
野村克也がかつて「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と語っていたけれど、それに倣えば、"ヒットに不思議のヒットあり"ということになるのだろうが、イチローには"不思議のヒット"は価値がないのだろう。
 アーティストにとって、曲がヒットすることは"不思議"の要素が大きい。どんなにいい曲でも売れないときは売れないし、適当に作った曲がとんでもない大ヒットになることもある。だから、ある場合にはどんなに人から愛されようと、その曲を適当に作ったことを誰よりも承知しているそのアーティストはその大ヒット曲を一生愛せない、なんてこともある。だから、賢明なアーティストは、ヒットするかどうかということに左右されず、自分にとっていい曲を作り続けることを心掛けるようになる。もちろん、プロ・ミュージシャンとして、活動を続けるために最低限度のセールスをキープすることに対する配慮はあるだろう。しかし、最終的に求めるのは自分が納得できる音楽。その有り様もまた、自分にとって理想のバッティングを追い求めて飽くことのないイチローの姿にそのまま重なるだろう。
クョスコニョ    [1] 
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